すべてはファミコンのために
私の思考の原点は、1983年に発売されたファミリーコンピュータにあります。
ゲームの時間を1分でも長く確保したい。そのためには、障害となる「宿題」をいかに早く終わらせるか。宿題をやらずにゲームをしていた多くの友人がいるなか、私の答えは違いました。
「家に帰る前に、学校で終わらせればいい」
授業が終わるチャイムが鳴り、宿題のプリントが配られた瞬間、私のバトルは始まります。
休み時間の10分で必ず終わらせる。なんならプリントが配り終わる前には終わらせる。
そのためには、授業を一度聞いただけで理解し、つまずくことは一切許されない。結果、特別な勉強をせずとも、私の成績は常にトップクラスでした。
「家でやろうが学校でやろうが自分が宿題やっているならよし。」
これが、私が人生で初めて常識を破壊した瞬間です。
本質さえ守れば、過程はもっと自由になる。
この考え方は、今もなお、私のビジネスの根幹を成しています。
しかし、
この「本質を問い直す」という姿勢が、既存のルールを絶対とする教育現場において、最初の壁となったのでした。
なぜ同じことを学ぶのか?理解できなかった高校時代|進学校での挫折とドラムとの出会い
地域No.1の進学校に入学した私を待っていたのは、挫折でした。
「昨日覚えたことを、今日テストする」——中学校で散々やったことの繰り返し。
私が求めていたのは、記憶力を試すゲームではなく、本質を見抜き「社会で強く生きるための術」でした。
目的を見失った私は、学校を休みがちに。そして成績は急落。先生からの風当たりはどんどん強さを増していくのでした。
そんな自分に、何か一つでも誇れるものが欲しかった。
勉強はそこそこできていたものの、正直高校では最下位争い。
スポーツはと言えば、水泳、野球、テニスと色々やったけれど、できて平均。
むしろ、みんなの足を引っ張らないようにするので精一杯…。
先生にいくら怒られようと、他人にどう思われようと、関係ないと思えるくらいの何かが欲しい。
そう、他人が簡単に真似できない、自分だけの何か。
それが、「ロック」そして「ドラム」でした。
とはいえ、ロックだからといって、ただ感情に任せて闇雲に練習していては他の人と同じです。
だからこそ、ドラムの上達にも「戦略」が必要だと、私は考えました。
自分がやっている、この体の動きは正しいのか?
自分が出している、この音は正しいのか?
つまり「正しいかどうかの判断基準を自分のものにする事」こそが、今必要な事なんじゃないかと気付いたのです。
もちろん、何も考えず一歩踏みだすことも大切です。
ただ、全てにおいてまずやってみる事が正解かと言えば、そうとも限らない。
経験したことがないからこそ、誰も助けてくれないからこそ、いざやるからには見当違いの方向で練習していないかどうか、見極められる目であり、耳が必要です。
そう考えた私が導き出した答えはシンプルでした。
「きちんと基準が存在する環境に、自分を置く」
その決断に基づき、私は吹奏楽部に入部し、基礎を徹底的に磨きました。
毎日の生活の中でいうと、学校の成績は底辺のまま。先生からの評価も変わりません。
しかし、私にはドラムという、誰にも奪われない、ブレることのない「芯」が生まれていたのです。
その結果、部活を引退した高校三年の夏、プライベートで応募したヤマハ主催のTeen’s Music Festivalで「ベストドラマー賞」を受賞します。
社会人になってからは、カワイ音楽教室の講師の経験も。
学校の成績では得られなかった、圧倒的な成功体験。
それをもたらしたのは、単なる気合や根性ではありませんでした。
苦手なことやできないこと、経験のないことには、できるようになる『仕組み』や『環境』を自らデザインする。
高校時代、ドラムを通じて体得したこの戦略的思考こそが、後のビジネスキャリアを、そして私の人生そのものを大きく飛躍させる原点となったのです。